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理事長先生・園長先生の一言

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2011-06-13
 今年のこの季節、梅雨のころになると思いだす父の顔があります。
仕事柄、海外での生活が長った父が、久しぶりに帰ってくると、
いつも登園拒否で母を困らせていた私は父に連れられて喜んで
幼稚園に通ったものでした。
ある日、幼稚園へ行く途中少しスロープになった坂道を曲がったところで、
小さな丸い水滴を付けた薄紫と白のコントラストの美しいツユクサを見つけて、
私はしばらく立ち止まって眺めていました。
すると、父がその一本をそっと抜いてくれました。 私はそのツユクサを大事そうに手に
握ったとことまでは覚えているのですが、不思議なことに、後のことは全く記憶にないのです。 しかし、一言もなく黙ってツユクサを取ってくれた父の優しい顔は大人になった今でも はっきりと思いだすことが出来ます。
その父も病に倒れて53歳で他界してしまいましたが、私に限らず「人の心は永遠に生きる」
ことを実感させられるツユクサの季節です。
「キリストはきのうもきょうも永遠に変わることがない。」という聖書のことばの真実を、神である父はご自分の姿を私たち一人ひとりの父の顔を通して表してくださっているのかもしれません

2011-06-01
  昔、「カトリック生活」という雑誌で次のような内容の祈りの詩を読んがことがあります。

          
              「信 仰」

ひとりの男の子が
高いところから降りられなくなって
震えていました。

そこへ、下から
子どもの父親が
「飛び降りなさい!」と叫んだ。

子どもは とっさに飛び降りたのである。
下では、父親が我が子を
その腕の中にしっかりと受け止めていた。
 
    お父さまである神さまも、私たち一人ひとりの父親も同じ。家庭の中での揺らぐことの      ない大黒柱です。

2010-11-29
キリストが復活しなかったのなら、
私たちの宣教は無駄であるし、
あなた方の信仰も無駄です。
  (1コリント15.14)

 そしてやがて彼自身もまた、同じ十字架刑に処せられる。
 しかしパウロにとって、復活されたキリストとの出会いの体験だけは、
どうしても譲ることのできない事実だった。「私はあなた方の間で、
イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も
知るまいと心に決めていた」
    (1コリント2.2)

2010-11-22
あなたはわたしたちを、ご自分に向けてお造りになりました。
ですから、私たちの心は、あなたのうちに憩うまで
安らぎを得ることが出来ないのです。

 神が招かれる休み。それは様々なスケジュールで埋め尽くすようなものではなく、
むしろ何もしないで、神とともに、神の中に憩うこと。それによって、新たに自分を見出し、
感謝する。
 今もなお働いている神(ヨハネ5.17)の言葉を聴こう。そしてそれを 
味わうためにも、休みを見出したい。そしてまた、夏休みが心躍る
ものであるように、この休みも心から喜び楽しもう。味わうためにも、

2010-11-15
待っています
ひろい地面が よく準備して
草の芽を ださせるように
神さま わたしたちの こころの畑に
よろこびの花を さかせてくださるのを
待っています。


  よい土が
草や木のあたらしい芽の誕生を まっているように
神さま わたしたちのこころは
あなたを お待ちしています。
    (イザヤ61.11-)

学校法人小さき花園幼稚園
〒680-0022
鳥取県鳥取市西町1丁目455
TEL.0857-26-5141
FAX.0857-21-4152

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幼児教育
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