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理事長先生・園長先生の一言

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2010-11-08
ー私たちを貫き抜けるイエスの言葉ー
私は復活であり。いのちである。
私を信じる者は、死んでも生きる。
生きて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか
    (ヨハネ11.25-26)

これらの言葉を信じる者は、鼻でせせら笑うのも、
それは全く私たち一人ひとりの自由。イエスは
生きるということに、いのちそのものに、強い憧れを
もっていた。体全体が震えるくらいに、いつも敏感だった。
 私たちは生きることを、たとえそれが無意識であっても、
どうしたって願っている。それは決して悪いことではない。
それどころかむしろそれは、いのちそのものである神の望み
であろう。そしてイエスは、自分の中にも、その同じいのちが
息づいていることを確信していた。
     (ヨハネ5.26参照)

2010-11-01
かわいています
神さま わたしは
あなたを さがしています。
かわいた地面のようで カラカラです。
神さま わたしのところにきて
わたしのこころに
あなたの水を いっぱい ください。

神さま わたしのこころは
水がほしくて かわききった
のどのようです。
神さま どうぞ わたしのところに
はやく きてください。
      詩編62-2

実り

2010-10-25
あの人のように・野菊     
     
   あの人のように
   なりたくてあの人の
   後を追っていたら
   あの人の前に
   キリストがいた
       
     星野富弘 <花の詩画集>より 

2010-10-22
疲れた者、重荷を負う者は、
誰でも私のもとに来なさい。
休ませてあげよう。
   (マタイ11.28)

 イエスのもとで休むこと、また神の中で行こうとは、
いったいいどういうことなのだろう。
慌しい生活を送っている私たでぃ。そのために、心も、
体も、そして魂までも疲れてしまう。その疲れから癒され
新たな活力を蓄えたい。そうでなければ、
新たな決断をすることも、難しい。
神とともに神の中にや安らぐ。そこに本当の憩いはある。
それはまた神との出会いの場でもある。だから、いったんそこに
落ち着いたなら、もう神を探しに他をさ迷い歩く必要はない。
この憩いのためにこそ私たちは造られて生きている。と言っても
いいかもしれない。
    アウグスティヌスの『告白』

実り

2010-10-18
咲く心
うれしきは
こころ さきいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
  秋の瞳  八木重吉 詩集より

学校法人小さき花園幼稚園
〒680-0022
鳥取県鳥取市西町1丁目455
TEL.0857-26-5141
FAX.0857-21-4152

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幼児教育
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